石倉山城(いしくらやまじょう)

所 在 地  東牟婁郡那智勝浦町井関
標   高  38m
比   高  22m
築 城 者  清水門善坊
築 城 年  永享年間(1429-41)
  式  丘城
遺   構  曲輪、土塁、堀切、石垣、虎口
登城時間  10分
       
 

歴 史

 石倉山城は那智社僧清水門善坊が築いたといわれ、天正9年(1581)4月、廊之坊塩崎氏と実報院米良氏の争いに廓ヶ坊側で戦い、那智川対岸にある蚤之城に布陣した堀内氏善に攻められ、落城したという。
  
 

現 状

 石倉山城は東西に延長200mほどの細長い痩せ尾根に築かれた城である。
 尾根の最高所に主曲輪がありこの城では最大の広さがある。主曲輪の北側に土塁と張り出した小曲輪がある。また主曲輪は東側には高さ1m、延長5mほどある石垣が残されている。
 主曲輪の西側には二条の堀切により尾根とを遮断しており、斜面には石垣により補強されている。
 主曲輪東側の二ノ曲輪には南側斜面と尾根とを区画する堀切にそれぞれ石段が残る。
 堀切を越えた尾根の東側には土塁と櫓台のような土盛りされた曲輪があり、そこから東側に向けては岩盤が露出したやせ尾根が続き、末端部に岩盤を削掘した堀切が設けられている。
 なお、城跡までは津波避難道が途中まで整備され、そこから避難広場や廃屋を抜けて斜面を登ると到達する。
 

写 真

                                 
津波避難道入口 避難広場
主曲輪 主曲輪土塁
西側堀切 西側堀切石積
主曲輪東側石垣 二ノ曲輪
堀切に通じる石段 二ノ曲輪東側堀切
東側尾根土塁 東側尾根石積
東側尾根櫓台 東側岩盤が露出したやせ尾根
東側尾根堀切 東側尾根堀切
東側尾根末端平坦地 東側尾根より県道側遠景


経 路

         
  
             
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      登城経路(動画)

地 図




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