結城城(ゆうきじょう)

所 在 地  東牟婁郡串本町有田
標   高  80m
比   高  70m
築 城 者  結城氏、小山氏
築 城 年  不明
形  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 横堀 
登城時間  1時間
 

歴 史

 下総国を本拠地とした結城家第11代当主結城少将氏朝は、室町幕府に反旗を翻したいわゆる結城合戦で討死したと云われるが、宝生寺過去帳によれば永享12年(1440年)城の森に結城氏朝が築城したと記録がある。  串本町有田は中世において潮埼荘に含まれており古座小山氏の支配圏内であることから、小山氏関連の城である可能性もある。
 なお麓にある宝生寺が平時の居館との伝承があり、結城城は根小屋式城郭であった可能性がある。

 

現 状

 結城城は紀伊半島最南端を流れる有田川中流に位置し、国道42号線から県道226号を経由して町道を約1.2km遡った有田上地区にある臨済宗宝生寺の裏山にある。
 南側麓にある宝生寺墓地より登り始めたが、山頂までは急峻な斜面の連続であり、比高以上に登城が困難な城である。
 斜面を登りきると造成が甘い三ノ曲輪に到達し、そこには河原石が散乱しており、投石用として準備されていたと思われる。
 三ノ曲輪を過ぎ切岸を登ると17m4方ほどの周辺を土塁で囲まれた二ノ曲輪があり、東側から西側にかけて帯曲輪が取り付いている。
 二ノ曲輪の北側が主曲輪で、シダに覆われ形状が確認出来ないが東西約20m、南北約30mほどの大きさである。
 また城跡の東側には横堀があるが途中で一旦途切れ、またその先に横堀がある特徴的な縄張りである。
 結城城は3方が急峻な斜面で人を寄せ付けないが、唯一北東側のみ風吹山より尾根伝いであるため、堀切2条により遮断性を確保している。
 結城城は横堀遺構等から室町時代中期に築城されたが、戦国期末期(秀吉の南征時か)に大規模な改修が行なわれたと思われる。

 

写 真

                                 
主曲輪 二ノ曲輪
二ノ曲輪 二ノ曲輪土塁
二ノ曲輪土塁 三ノ曲輪
三ノ曲輪に散乱する川原石 二ノ曲輪東側腰曲輪
主曲輪東側腰曲輪 主曲輪東側横堀
北東尾根堀切 北東尾根堀切
北東尾根堀切 北東尾根堀切
北東尾根より見る城跡 主曲輪北側通路

経 路


    

                                

地 図






紀南地方の城跡