佐部城(さべじょう)

所 在 地  東牟婁郡串本町田原
標   高  132m
比   高  125m
築 城 者  堀内氏善
築 城 年  天正年間
形  式  山城
遺   構  堀切 土塁 竪堀 石垣 溜池 
登城時間  40分
 

歴 史

 佐部城は佐目城、秀田城とも呼ばれる。
  築城時期は諸説あり、天正7年(1579年)新宮城主堀内氏善が椎橋権左衛門に命じ築城させたのが有力であるが、
南北朝時代に藤原秀政、田村半之丞が築城した説や、元亀年間小山石見守が居城した説もある。
  天正8年2月(1580年)虎城山城主高川原貞盛が堀内氏善の北進を防ぐため佐部城を攻め、これに小山氏、安宅氏、目良氏、山本氏、湯河氏らが同調した。
  しかし高川原氏らは苦戦を強いられ敗北寸前に陥ったが、家臣である浅利平八が鉄砲6匁玉を使って櫓上で指揮する椎橋権左衛門を討ち取り佐部城は落城した。
 

現 状

 佐部城は熊野灘から田原川約2km上流にあり、古座川筋から太田川流域へと通じる街道を見下ろす位置に築かれている。
 城跡は標高132mの山頂にあり、周辺を急峻な岩山で囲まれるなど要害堅固な城である。
 城跡までは南側林道から杉林の斜面を登ると尾根に達する。
 そこから東側を進むと東西15m、南北7mほどの周辺を土塁で囲まれた東出丸があるが、東側尾根が比較的緩斜面であり防御上の弱点を補うため築かれたと思われる。
 東出丸から西側に引き返し急峻な岩山を登ると石垣が僅かに残る主曲輪虎口に達する。
 主曲輪は東西45m、南北15mの細長い形状で、南西側に築かれた土塁が形を良く残しまた曲輪内に溜池跡がある。
 また主曲輪西側下方には二ノ曲輪があり、そこから西側へ続くやせ尾根には岩を砕いて掘られた3条の堀切とそれに続く竪堀により遮断され、古座方面より侵入する敵に対して防御の主眼が置かれてる。

 

写 真

                                 
案内看板 登城口
東側尾根斜面 主曲輪虎口石積
主曲輪 主曲輪南側尾根
主曲輪 主曲輪
主曲輪土塁 主曲輪土塁
主曲輪溜池跡 主曲輪切岸
二ノ曲輪 二ノ曲輪
西側尾根竪堀 西側尾根堀切
西側尾根堀切 西側尾根堀切
西側痩せ尾根 田原川河口方面
東出城 東出城土塁

経 路


   

                                

地 図






紀南地方の城跡