西畑山西城(にしはたやまにしじょう)
所 在 地 東牟婁郡串本町江田 標 高 38m 比 高 34m 築 城 者 不明 築 城 年 不明 形 式 山城 遺 構 曲輪、土塁、堀切、虎口 登城時間 15分
歴 史源駿河ノ守忠重五代孫浦野重遠の末裔小川義重が美濃の国より江田浦に居住したというが、西畑山西城との関係性は不明である。西畑山西城は江田集落を見下ろし、また江田浦や沖合を見通せる位置にあることから、航行する船舶監視にを目的に築かれたと思われる。 |
現 状西畑山西城は、現在建設中である近畿自動車道紀勢線と国道42号線との間にある尾根先端部に築かれた山城である。城跡は東側尾根を二重の堀切で遮断され、そこから急な切岸を登ると主曲輪に到達する。 主曲輪周辺を土塁で囲み、東側と西側に虎口が確認できる。また西側虎口から北側斜面を下ると、東側尾根部堀切に繋がる帯曲輪が廻る。 西畑山西城は単曲輪の小規模な山城であるが、遺構が良好に残る城跡である。 |
写 真 |
登城口 | 登城口 | |
堀切 | 堀切 | |
堀切 | 主曲輪 | |
主曲輪 | 主曲輪土塁 | |
主曲輪土塁 | 主曲輪虎口 | |
帯曲輪 | 西畑山西城と東城遠景 |