西畑山東城(にしはたやまひがしじょう)
所 在 地 東牟婁郡串本町江田 標 高 36m 比 高 27m 築 城 者 不明 築 城 年 不明 形 式 山城 遺 構 曲輪、堀切 登城時間 15分
歴 史源駿河ノ守忠重五代孫浦野重遠の末裔小川義重が美濃の国より江田浦に居住したというが、西畑山東城との関係性は不明である。西畑山東城は西畑山西城と谷を挟んだ南の尾根に築かれており、江田集落を見下ろし、また江田浦や沖合を見通せる位置にあることから、航行する船舶監視にを目的に築かれたと思われる。 なお両城は主城が西城であり、東城は曲輪が自然地形であることから臨時に築かれた城と思われる。 |
現 状西畑山東城は、麓にある海蔵寺墓地を通り過ぎ、現在建設中である近畿自動車道紀勢線手間の沢を登ると尾根に取り付き、そこから南西方向尾根先端部に築かれた山城である。城跡は北東側尾根を少し離れて二条の堀切と、ほぼ自然地形な曲輪が残されている。 |
写 真 |
海蔵寺案内板 | 海蔵寺 | |
曲輪 | 曲輪 | |
切岸 | 堀切 | |
堀切 | 堀切 | |
主西畑山西城と東城遠景 | 江田浦方面遠景 | |