矢倉山城(やぐらやまじょう)
所 在 地 紀の川市粉河 標 高 96m 比 高 36m 築 城 者 粉河寺 築 城 年 不明 形 式 丘城 遺 構 曲輪、堀切、土塁、竪堀 登城時間 5分
歴 史粉河寺は宝亀元年(770)に建立された粉河観音宋の総本山で、西国三十三カ所三番札所である。粉河寺は隣接する根来寺とは度々合戦を行い、また守護畠山氏の軍事動員に応じ、和泉や河内方面に進軍するなど活動するが、天正十三年(1585)羽柴秀吉の紀州攻めにあい全山焼失したが、江戸時代に再建された。 矢倉山城は標高96mの尾根上に築かれ、粉河寺西側を守る目的に築かれたのであろう。 現在城跡は、粉河寺別当も輩出した御池坊の墓所となっている。 |
現 状矢倉山城には県道122号線南側にある果樹園脇を進むと到達する。現在城跡には粉河寺が焼失した後に寺の再興に尽力した御池坊の墓地があるが、造成時に改変されたと思われるが、北側の果樹園とを区画する幅約5mの堀切とそれに繋がる竪堀があるが、倒木や雑草により確認しにくい。 また南側には幅及び深さが約5mほどある薬研堀状に掘られた堀切と、この堀切の南側には削平が不十分であるが土塁を伴う曲輪が残されている。 |
写 真 |
果樹園の脇道より城跡へ | 北側堀切 | |
北側堀切 | 曲輪 | |
曲輪にある御池坊墓所 | 南側堀切 | |
南側堀切 | 南側堀切から延びる竪堀 | |
南曲輪 | 南曲輪土塁 | |