襷城(たすきじょう)
所 在 地 紀の川市桃山町野田原 標 高 470m 比 高 93m 築 城 者 高野山勢 築 城 年 1581年(天正9年) 形 式 山城 遺 構 曲輪、土塁、虎口 登城時間 25分
歴 史襷城は「紀伊続風土記」によると、貝合城とも呼ばれ、織田信孝が高野山を攻めの時に、この城から螺を吹いて敵が攻め寄せたことを領内に伝えたと記されており、情報伝達を目的とした城であったと思われる。また築城主体は、襷城が高所にあり、周辺に集落がないことから、広域を支配していた高野山勢が築いたと思われる。 |
現 状タスキ峠から東側にあるタスキ城山の山頂に城跡があり、タスキ峠脇の林道から登ることが出来る。襷城は最高所に主曲輪があり東側に土塁と虎口があり、虎口から帯曲輪へ繋がっている。 主曲輪から西側には腰曲輪が二段取りついているが、堀切や竪堀はない。 襷城は高野山関連の高所にある情報伝達を目的とした、権の別当城や雨乞山城と構造に共通点があり、曲輪間ぼ高低差が少なく、堀切や竪堀が設けられていないことから、防御性に主眼が置かれていない縄張りであることが分かる。 なお登城ルート動画では、誤って送電線鉄塔を経由しているので注意いただきたい。 |
写 真 |
タスキ峠 | 林道 | |
主曲輪 | 主曲輪西側虎口 | |
主曲輪西側土塁 | 主曲輪西側切岸 | |
東側腰曲輪 | 帯曲輪 | |