秋葉山城(あきばやまじょう)
所 在 地 紀の川市中鞆渕 標 高 414m 比 高 102m 築 城 者 高野山衆徒 築 城 年 不明 形 式 山城 遺 構 曲輪、堀切、土橋、切岸 登城時間 25分
歴 史秋葉山城がある鞆渕荘は高野山荘園であり、高所にあるこの城は北側方面へ見通しが良いため、この方面からの敵に対しての情報伝達や狼煙場として使用されていたの考える。この城が築かれた時期は、高野山荘園内に北側からの脅威があった時期として、織田信長(信孝)が攻め込んだ天正9年(1581年)頃と思われる。 |
現 状秋葉山城は中野南の集落の南西にあり、中野南から登城を試みたが急斜面で諦め、高原(たこら)から愛宕山脇の林道を進み、途中から徒歩で城跡のある秋葉社に到達した。城跡は単曲輪の山城で、曲輪には秋葉社が建立されてる。 南側には堀切と土橋が確認できるが、土橋は後年に埋めら可能性があり、北側の切岸は急で8mほどの高さがある。 北側切岸を下ったところに帯曲輪と北東側に段構えのように階段状に腰曲輪が設けられている。 秋葉山城は小規模な山城であるが、北側への見通しが良いことから、情報伝達や監視を目的とした城であったと思われる。 |
写 真 |
山道 | 分岐点(右側山道へ) | |
堀切 | 堀切 | |
土橋 | 曲輪(秋葉社鳥居) | |
秋葉社祠 | 北側切岸 | |
北側帯曲輪 | 東側腰曲輪 | |