河野城Ⅱ(こうのうじょうに)

所 在 地  海草郡紀美野町福田
標   高  101m
比   高   22m
築 城 者  神野(河野)一祐
築 城 年  天正九年(1581)
  式  丘城
遺   構  曲輪
登城時間  5分
       
 

歴 史

 紀美野町福田は、中世に高野山領である神野荘であり、高野山荘官である神野氏(河野氏)が、織田信長の高野攻め(1581)の際に城を築き、防戦に務めたと文献に記されている。
 神野氏(河野氏)は真国荘、小川荘、志賀野村の軍事動員のとりまとめを行うなど、有力な荘官であったと思われる。
 また「紀伊続風土記」には、伊予国(愛媛県)湯築山城を本拠とした河野氏が、土佐国長曾我部元親に国を追われ、この地に移り住み、高野山よりこの地を与えられと記されている。
  
 

現 状

 河野城Ⅱは平野部の独立丘にあり、頂部は現在、藪となっているため形状の確認ができないが、土塁と土壇が残されているようである。また頂部を周回する帯曲輪状の平坦地が残されてる。
 昭和58年の和歌山県教育委員会の発掘調査では、瓦片が多数出土し、基石も発見されていることから、瓦葺建物があったといわれている。
  

写 真

                                 
曲輪 曲輪
切岸 帯曲輪
帯曲輪 遠景
  
         
   

地 図





紀北地方の城跡