河野城Ⅰ(こうのうじょういち)

所 在 地  海草郡紀美野町福田
標   高  100m
比   高   ―
築 城 者  神野(河野)氏
築 城 年  天正九年(1581)
  式  丘城
遺   構  なし
登城時間  ―
       
 

歴 史

 紀美野町福田は、中世に高野山領である神野荘であり、高野山荘官である神野氏(河野氏)が、織田信長の高野攻め(1581)の際に城を築き、防戦に務めたと文献に記されている。
 神野氏(河野氏)は真国荘、小川荘、志賀野村の軍事動員のとりまとめを行うなど、有力な荘官であったと思われる。
 また「紀伊続風土記」には、伊予国(愛媛県)湯築山城を本拠とした河野氏が、土佐国長曾我部元親に国を追われ、この地に移り住み、高野山よりこの地を与えられと記されている。
  
 

現 状

 河野城Ⅰは貴志川と真国川が合流する要衝に築かれた城であり、現在城跡には江戸時代中期に建立された愛宕神社と延命寺があるが遺構は何も残されていない。
 昭和58年の和歌山県教育委員会の発掘調査では、中世庭園の一部が発見され、井戸が現存することから城館として機能していたと思われる。
  

写 真

                                 
愛宕神社
神社境内 境内東側
三角点 参道側斜面
  
         
   

地 図





紀北地方の城跡