鉢ヶ峰城(はちがみね)
所 在 地 海草郡紀美野町松瀬 標 高 348m 比 高 10m 築 城 者 畠山氏 築 城 年 天正年間 形 式 山城 遺 構 なし 登城時間 5分
歴 史河内国半国と紀伊国守護であった高屋城主畠山高政の子である政慶が秀吉軍に敗れ高野山に入る際に、当地に妻と娘を住まわせ、その屋敷を守るため鉢ヶ峰城築いたという。なお高政が病で亡くなったとき政慶は幼少だったため、高政の弟の昭高が跡を継いだため、政慶は河内の医者吉益美笑斉に匿われ、吉益姓を称した。その子政光は広島に居を移したが浅野家には出仕せず、政光の子重宗、重宗の子為則は周助と名乗り、後に吉益東洞という山脇東洋からも賞賛される名医となったという。 |
現 状鉢ヶ峰城は真言宗釜滝薬師金剛寺の西方に位置する。以前は曲輪や石垣、堀切等の遺構が残されていたとの伝承があるが、現状は雑木林や畑に開墾され、遺構は何も残されていない。 |
写 真 |
登城口 | 畑に開墾された平坦地 |
雑木林 | 農道から南方側遠景 |
経 路 |