皮張西城(かわばりにしじょう)
所 在 地 伊都郡かつらぎ町宮本 標 高 607m 比 高 35m 築 城 者 高野山 築 城 年 天正年間 形 式 山城 遺 構 曲輪 横堀 土塁 虎口 登城時間 15分
歴 史真国川最上流にある天野盆地には、高野山領の総鎮守社、丹生都比売神社があり、そこから高野山に至る街道が通じる。紀ノ川方面から天野盆地に入るには宮本峠か渋田峠を通過する必要があり、皮張東城、西城はそれぞれの峠を押さえる目的で東西に築かれ、皮張西城は渋田峠の敵兵を防ぐ目的で築かれた。 築城者は高野山勢と思われ、築城年代は北側からの敵の脅威に備えた位置にあるため、織田信長の高野山攻めがあった天正9年(1581年)頃と推測する。 |
現 状皮張とは、明治31年までのかつらぎ町宮本の旧地名である。皮張西城は皮張東城から西に120mほどの位置にある。 遺構は東西30m、南北20mの主曲輪と、その周辺を2から3重の横堀が巡り、虎口が三か所設けられている。 皮張東城向きの東側虎口は、南側に3重の横堀により防御性を高めている。 またこの城の横堀は、武者隠しの機能も兼ねていたと思われる。 皮張東城と西城は、曲輪周辺を横堀と帯曲輪で違いがあるが、円型の曲輪を囲んだ似た構造となっており、同時期に築かれたと思われる。 |
写 真 |
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登城口 | 主曲輪 | |
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西側虎口 | 南側横堀 | |
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南側横堀 | 東側の折れを伴う虎口 | |
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西側二重の横堀 | 南側切岸 | |
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南側横堀と切岸 | 東城方面尾根 |
経 路 |