皮張東城(かわばりひがしじょう)

所 在 地  伊都郡かつらぎ町宮本
標   高  608m
比   高   36m
築 城 者  高野山
築 城 年  天正年間
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁 虎口
登城時間  10分
       
 

歴 史

 真国川最上流にある天野盆地には、高野山領の総鎮守社、丹生都比売神社があり、そこから高野山に至る街道が通じる。
 紀ノ川方面から天野盆地に入るには宮本峠か渋田峠を通過する必要があり、皮張東城、西城はそれぞれの峠を押さえる目的で東西に築かれ、皮張東城は宮本峠からの敵兵を防ぐため築かれた。
 築城者は高野山勢と思われ、織田信長の高野山攻めがあった天正9年(1581年)頃と推測する。
   
 

現 状

 皮張とは、明治31年までのかつらぎ町宮本の旧地名である。
 皮張東城は20m×15mの主曲輪には土塁と、その周辺を2重の帯曲輪で囲んでいる。
 虎口が宮本峠、皮張西城方面及び南側に計三か所設けられている。
 宮本峠方面からは、帯曲輪を経由して90度折れて虎口に入る敵を阻害し、南側虎口は鍵手型の土塁が枡形を形成するなど技巧的な構造となっている。
 長年風雨にさらされ、また倒木や落ち葉と堆積などで形状が確認しにくい状況となっている。
  

写 真

                                 
登城口 主曲輪
主曲輪土塁 主曲輪切岸
 
東側虎口 東側帯曲輪
東側尾根より 西側帯曲輪土塁
西側尾根方面 南側土塁  


経 路

                                                        



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 登城経路(動画)

地 図




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