城の平城(しろのたいらじょう)
所 在 地 海南市岡田
標 高 129m 比 高 17m 築 城 者 山名義理 築 城 年 明徳2年(1391) 形 式 山城 遺 構 なし 登城時間 30分
歴 史明徳2年(1391)の明徳の乱で、紀伊守護職山名義理が大内義弘を迎え撃つため、居城大野城の北方に築いた城の一つである。また「紀伊続風土記」には織田信長の雑賀攻めの際に、信長方に加勢した、稲井秀次と岡本弥助が籠り、雑賀孫一により落城させられたと記されている。 |
現 状城跡は日方城から東に尾根を約350m下った位置にあるが、自然地形の平坦地があるが、遺構は何もない。なお城跡付近にある土塁上の土盛りは後世の境界土塁である。 |
写 真 |
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平坦地 | 境界土塁 | |