神田城(かんだじょう)
所 在 地 海南市神田
標 高 90m 比 高 20m 築 城 者 不明 築 城 年 不明 形 式 山城 遺 構 曲輪、土塁、堀切、横堀 登城時間 30分
歴 史「日方記」には南北朝時代に紀伊守護職山名義理の一族である氏清や満幸が住したとある。また、天正5年(1577)の「井松原合戦」でこの城を利用した可能性もある。 |
現 状神田城は日方城の南に位置し、日方城から延びた尾根と2本の支尾根の先端部の3カ所の独立した曲輪がある。日方城から延びた尾根にあるのが中城で、尾根を遮断するため2条連続して堀切と、急な切岸が確認できるが、曲輪部分は羊歯に覆われ確認できない。 中城と尾根続きにある東城は曲輪部分に羊歯がなく確認しやすい。 また東側斜面を下ると横堀があり、斜面に向けて竪堀が落ちている。 南側には尾根を遮断する堀切と切岸により防御性が高められている。 中城から尾根を下ると西城があり、曲輪部分や南側堀切部分は羊歯に覆われ、形状が確認できない。 神田城は全体的に羊歯に覆われ、一部藪漕ぎを要するので冬場の訪問をお勧めする。 |
写 真 |
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北側道路から城跡への入口 | 中城北側の堀切と土橋 | |
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中城北側の堀切 | 羊歯に覆われた中城曲輪 | |
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東城曲輪 | 東城曲輪 | |
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東城東側横堀 | 東城東側横堀の土塁 | |
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東城南側切岸 | 東城南側堀切 | |
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羊歯に覆われた西城曲輪 | 羊歯に覆われた西城堀切 | |