日方城(ひかたじょう)

所 在 地  海南市日方
標   高  170m
比   高   58m
築 城 者  山名義理
築 城 年  明徳2年(1391)
  式  山城
遺   構  曲輪、土塁、竪堀、虎口
登城時間  15分
       
 

歴 史

 明徳2年(1391)の明徳の乱で、大内義弘は、和泉国より700騎を率いて、府中(和歌山市)に布陣、海上からは兵船500艘が紀伊守護職山名義理の居城である大野城攻略に赴いた。
 対する山名義理は、大野城から約3km北方の山に東西に並ぶ支城を築いて防衛線を構築した支城の一つが日方城である。
 また天正5年(1577)織田信長の雑賀攻めの際に起こった井松原合戦でも日方城は使用され、落城したという。
 

現 状

 城ヶ峰に城跡があり、現在は市民の森として整備されている。
 山頂部分は平坦であるが、全体的にやや傾斜しており、臨時に築かれた陣城ではないかと推測する。
 城跡は、東西約100m、南北約30mの長方形で、その内部は自然地形となっている。
 その曲輪を囲むように土塁あり、南側には食い違いの切れ目があり、虎口と思われる。
 また南東側にはⅤ字型の竪堀があり、敵の横移動を阻害している。
 なお城跡を横断するように後世の境界土塁があり、何処までが当時の遺構であるか判断が難しい。
 

写 真

                                 
城跡への入口 曲輪
曲輪 曲輪
東側土塁 南側土塁
南東側竪堀 南東側竪堀
南側虎口 市街地側遠景


経 路

    
 
    
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登城経路(動画)

地 図




紀北地方の城跡