平山城(ひらやまじょう)
所 在 地 橋本市応其 標 高 135m 比 高 ― 築 城 者 松山新介 築 城 年 天正9年(1581) 形 式 山城 遺 構 なし 登城時間 ―
歴 史城跡がある応其の地名の由来は、天正13年(1585)、豊臣秀吉の紀州征伐時に高野山に降伏を迫った時、和睦交渉に高野山側の代表として交渉し、高野山最大の危機を救った木食応其から名付けられた。平山城は天正9年(1581)織田信長が高野山攻めを行った時に、部将松山新介が布陣した城と古文書に記されている。 |
現 状城跡は昭和45年頃に平山城団地の造成時に、形状が大幅に改変されたため、現在遺構は何も残されていない。 |
写 真 |
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平山城団地 | 平山城団地 |
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団地看板 | 南側遠景 |