北山城(きたやまじょう)

所 在 地  有田郡有田川町谷
標   高  688m
比   高  160m
築 城 者  高垣氏
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切 土塁    
登城時間  40分
 

歴 史

 北山城は金屋町誌によると高垣氏により築かれたと記されているが、阿弖河荘(旧清水町周辺)を支配していた保田氏に関係する人物であったと思われる。
 天正年間に河内高屋城主畠山昭高に仕えていた当主保田知宗が河内に滞在している間に、家臣らが一揆を企て、居城紅葉山城が落城するなどの軍事的緊張があり、その時一揆側を支援した高野山勢が北方からの侵攻を防ぐため保田氏側が築いたものと推測される。
 

現 状

 北山城は旧金屋町と旧清水町の境界の標高688mの山頂にある。
 城跡までは東大谷から大月峠に通じる林道を車で登り、舗装道から未舗装道になる地点で車を停めて、そこから杉林を登りきると尾根に突き当り、そこから尾根道を西側に約700m歩くと北山城に到達する。
 城跡は、尾根上に曲輪が配置されており、西側曲輪最高所三角点がある部分は10m四方ほどの平坦地があるが、ここは狼煙場若しくは若しくは櫓台があった場所と思われる。最高所から西側に付曲輪と尾根斜面に堀切が1条確認でき、また北側から東側を帯曲輪が取り巻いている。
 西側曲輪と東側曲輪の間には3条に堀切があるが、かなり埋まっていまい形状が確認しにくくなっている。
 東側曲輪は造成が甘い曲輪と南側に腰曲輪があり、東側に低い土塁と北側に短い竪堀が2条掘られている。
 なお南側は緩やかな傾斜であるが防御施設が皆無であることから、北山城は北方からの敵のみを想定した構造となっているのが特徴である。

写 真

                                 
未舗装道路から杉林を登る 尾根道
東曲輪 東曲輪土塁
東曲輪北側竪堀 東曲輪南側の帯曲輪
東曲輪と西曲輪を遮断する堀切 東曲輪と西曲輪を遮断する堀切
東曲輪から西曲輪への尾根 西曲輪
西曲輪の帯曲輪 西曲輪の帯曲輪
西曲輪西側尾根 西曲輪西側尾根を遮断する堀切


経 路

   
 
                           

地 図




紀中地方の城跡