二川天城(ふたかわてんじょう)

所 在 地  有田郡有田川町二川
標   高  257m
比   高   92m
築 城 者  四条中納言隆俊
築 城 年  南北朝時代
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切   
登城時間  15分
 

歴 史

 二川天城は別称阿瀬川下城と呼ばれ、南北朝時代に四条中納言隆俊が南朝方の重要な拠点であった阿弖河荘(旧清水町周辺)の守りを固めるため築いた城といわれている。
 室町時代には紀伊守護畠山氏に仕えた保田氏がこの地を治め、在地領主である二川氏の居館跡や馬場、門口、馬駆け登り道、殿様井戸などの伝承地が多くあることから、根小屋式城郭であったと推測される。
 
 

現 状

 二川天城は二川集落北方の標高257mにあり、北側に有田川が東側に日物川が天然の堀をなす急峻な山頂にある。
 城跡までは南側麓より山道が整備され、山道脇には三十三観音と、主曲輪には大師堂が建立されている。
 遺構は主曲輪と北側から南側にかけて帯曲輪が取り巻き、帯曲輪を南側に下ったところに横堀が掘られて、 西側には腰曲輪にバンガロー風の公衆トイレが建てられている。
 なお二川集落にある安楽寺には延文4年(1359年)南朝方の四条隆俊が逃れる途中に一時身を寄せたと伝えられている。また安楽寺には南北朝時代に作られた国の重要文化財に指定された多宝小塔が収蔵されている。
 二川天城は小規模な城であるが、天然の要害を利用した堅固な城であったことが分かる。

写 真

                                 
登城口 山道に祀られた三十三観音
主曲輪と大師堂 西側腰曲輪
主曲輪切岸 北側曲輪
横堀 殿様井戸


経 路

   
 
                           

地 図




紀中地方の城跡