天子山城(あまごやまじょう)

所 在 地  有田郡有田川町久野原
標   高  386m
比   高   78m
築 城 者  湯浅氏(阿瀬川氏)
築 城 年  南北朝時代
  式  山城
遺   構  曲輪 堀切 竪堀 切岸    
登城時間  5分
 

歴 史

 天子山城は別称阿瀬川上城とも呼ばれ、阿弖河荘を治めていた湯浅宗藤の居城である。
 正平三年(1348年)高師直に吉野を襲撃された後村上天皇は、吉野賀名生(よしのあのう)から難を逃れるため行幸されたことより天子山城と称された。
 その後紅葉山城を居城とした保田氏の支城となり、荘内北東部の防御拠点として利用された。
 

現 状

 有田川町杉之原は有田川上流域に位置し、城跡がある天子山には三宝荒神社が祀られている。
 城跡まではコンクリート舗装された山道が整備されているが、道幅が非常に狭いため軽自動車か徒歩での登城となる。 
 敷地は神社建設時に改変されており、境内にあった堀切も消滅している。
 最高所にあるお社部分が主曲輪で、北側下段に二ノ曲輪と尾根を区画する堀切と竪堀があり、東側には腰曲輪が確認できる。
 なお境内鳥居手前には湯浅宗藤の墓との伝承がある五輪塔と宝篋印塔が祀られている。
 

写 真

                                 
案内看板 山道
広々とした境内 鳥居
 
主曲輪に建つお社 主曲輪切岸と二ノ曲輪
東側腰曲輪 北側尾根堀切
北側尾根竪堀 五輪塔と宝篋印塔


経 路

                                                        
 

地 図




紀中地方の城跡