中山城(なかやまじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町里野
標   高  35m
比   高  28m
築 城 者  伊東氏
築 城 年  不明
  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 虎口 
登城時間  10分
 

歴 史

 伊東祐時の子・祐光の子孫が日向の国に下向して日向伊東氏となり勢力を誇ったが、その後日向伊東氏が没落し、その一族が当地に逃れ中山城を築いたと伝わっている。
  また地元では中山城としては伝わらず、「中山の城屋敷」と呼ばれていることから定住型の館城であったのであろう。

 

現 状

 国道42号線すさみ町口和深に世界遺産である熊野古道大辺路長井坂への案内看板を目印に町道を4kmほど入ると王子神社があり、その東側の山が城跡である。
 城跡は北側からの尾根先端部分にあり、現在の町道付近を通っていた大辺路街道を見下ろす位置にある。
 和深川城は単曲輪の城であり、曲輪は東西11m、南北17mの大きさで、周辺を土塁で囲み、南側には腰曲輪に通じる虎口が開いている。
 腰曲輪は南側にあり、南北11m、東西に16mの三角形をしている。
 曲輪から北側尾根を遮断する大堀切があり、切岸には石積みの一部が残されている。 
 また城跡は、かつては栄えていたが草木に覆われさぞかし寂しかろうと役の行者さんが祀られ、地元の方はこの山を行者さんと呼ぶようになったようだ。

 和深川城は小規模な城であるが、土塁や堀切の形をよく残した貴重な城跡である。

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪虎口  城跡の中央を通る線路 

経 路

                                                   

  

                              

                                

地 図






紀南地方の城跡