越路城(こしじじょう)

所 在 地  新宮市磐盾
標   高  157m
比   高  117m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
形  式  山城
遺   構  曲輪、堀切、土塁、竪堀、虎口  
登城時間  15分
 

歴 史

 越路城は文献に登場しない城跡で、築城年代や築城者は不明であるが、戦国期に奥熊野を統治し、新宮に屋敷を構えた堀内氏善が、北山方面から市街地に入る越路峠の押さえや熊野川水運の掌握のため、この地に城を構えたと推測される。
 
 

現 状

 越路城は新宮市街地の西側千穂ヶ峰の南端にあり、熊野川から新宮市街地に至る越路峠を見下ろす位置にある。
 城跡までの経路は新宮方面から越路トンネル東手前を左折し、細い山道を登ると千穂ヶ峰登山口から越路峠を経て城跡へ至る。
 越路城は東西70m、南北250mの範囲に四ヶ所の曲輪群から成る一城別郭の縄張りで、奥熊野では最大規模の城跡である。
 一ノ曲輪は北側最高所の現在東屋が建つ部分が曲輪であり、規模は小さいが周囲に低い土塁と虎口が残る。  二ノ曲輪は一ノ曲輪から約15m下方にあり、曲輪は土塁や段差、石積で細かく区画され折れを伴う虎口が残り、一ノ曲輪との間は堀切により遮断されている。
 三ノ曲輪は二ノ曲輪の約10m下方にあり、北端部に土塁と、側面に石垣が残る。
 四ノ曲輪は越路峠のすぐ上にあるが、開墾され当時の姿が不明であるが、三ノ曲輪との間を通る山道が堀切状となっている。 
 

写 真

                                 
登城口 越路峠(堀切跡か)
越路峠 四ノ曲輪
四ノ曲輪土塁 四ノ曲輪と三ノ曲輪の間にある堀切
三ノ曲輪石垣 三ノ曲輪看板
二ノ曲輪 二ノ曲輪土塁
二ノ曲輪石垣 二ノ曲輪虎口
二ノ曲輪竪堀 二ノ曲輪石垣
一ノ曲輪土塁 一ノ曲輪虎口
一ノ曲輪看板 遠景

経 路


   

地 図






紀南地方の城跡