中山城(なかやまじょう)

所 在 地  東牟婁郡那智勝浦町庄
標   高  80m
比   高  70m
築 城 者  不明
築 城 年  天正年間(1504年〜1520年)
形  式  丘城
遺   構  曲輪 土塁  
登城時間  20分
 

歴 史

 中山城は県内でも屈指の城郭密集地帯である太田川中流域に位置し、河川が蛇行・浸食する過程で作られた環流丘陵にある。
 庄という地名の由来は「此地を領せし人の荘官の居ありしより村名起れるあらん」と紀伊続風土記に記され、有力者の居館があったことからと云われる。
 築城者は不明であるが、天正年間(1581年〜1583年)に那智廊之坊塩崎氏を制圧した堀内氏が太田川流域に侵攻する気配を見せたため、この地域を治める土豪が築いたと思われる。
 

現 状

 中山城は周辺に田園地帯が広がる標高70mの独立丘陵にある。
 町道から石段を登ると小さな小屋が建つ寺跡があり、そこから山道を登り途中共同墓地を過ぎた上にある平坦地が神社跡でであったようで更に北西方向に登ると城跡に達する。
 城跡は東西15m×南北10mほどの単曲輪であり、北側から東側にかけて低い土塁が残されているが、尾根を遮断する堀切がなく防御性は低いため狼煙場か見張所として使用されていたと考えられる。

 

写 真

                                 
登城口 寺跡
神社跡 神社石段跡
曲輪南東側斜面 曲輪
土塁 土塁石積
北側尾根 遠景

経 路


   

                                

地 図






紀南地方の城跡