土生城(はぶじょう)

所 在 地  日高郡日高川町土生
標   高  25m
比   高  15m
築 城 者  逸見万寿丸清重
築 城 年  正平元年(1346年)
  式  平城
遺   構  曲輪  
登城時間  5分
 

歴 史

 土生城主である逸見万寿丸清重は、源義光の二男武田義清の後裔である逸見満清の二男であり、正平年間(1346年〜1369年)の頃、南朝の後村上天皇に従い、武功によって矢田荘を賜った。
 天授5年(1379年)、北朝方の山名義理が紀伊国に攻め入り南朝方を駆逐したため、逸見氏も信濃国に落ちていったという。
 

現 状

 土生城は旧川辺町役場付近から県道を挟んだ南側から西側に築かれた逸見氏の館城であり、その中心部は東西60m、南北100mの規模で、この台地を「城の内」と呼ばれている。
 現在城跡は宅地や田畑に開墾され遺構は確認できないが、台地となった部分が当時の館跡であったと推測される。
 来迎寺北側墓地に清重の母のものと伝わる墓と、参道石段を登って右側にも一石五輪の墓が多数祀られているが、逸見氏一族のものかは不明である。

写 真

                                 
土生城内 土生城内
来迎寺 来迎寺
石段の途中にある墓石 来迎寺から土生城方面

経 路


       

                                

地 図






紀中地方の城跡