真砂城(まなごじょう)

所 在 地  田辺市中辺路町真砂
標   高  300m
比   高  169m
築 城 者  真砂氏
築 城 年  不明
形  式  山城
遺   構  なし 
登城時間  30分
 

歴 史

 平安時代の西暦800年頃、熊野本宮大社から荘園の管理者としてこの地に派遣された物部阿斗氏が、のちに真砂氏と改姓して当地に定着したのが始まりと伝えられている。
 天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州攻めでは、第31代当主・真砂友家が湯河直春に加担し、竜口城をはじめ山岳地帯を拠点にゲリラ戦を展開したと伝わる。しかし、家臣71名が討死するなどして勢力を失い、真砂氏は没落したという。
 その後、第32代当主・真砂友定は徳川家に仕え、のちに越前国で3,000石を領したとの記録が残されている。  なお、日高郡の道成寺に伝わる安珍・清姫伝説に登場する清姫は、第3代当主・清重の娘で延長5年(927)に13歳にて没したと伝わっている。
 

現 状

 真砂城は、富田川とその支流である西谷川との合流地点に位置する、標高約300mの山頂に築かれている。
 城跡へは、国道311号から分岐する市道を進み、「清姫道」の案内板を目印に尾根道を登ると到達する。 
 現在、城跡には植林された平坦地が残るのみで、明瞭な城郭遺構は確認できない。しかし、旧熊野街道の汐見峠へ通じる街道を見下ろす位置に築かれており、山麓の真砂氏屋敷跡へ通じる城道も残されていることから、街道の監視と真砂氏の居館を防御する役割を担った城であったと考えられる。
 真砂城は標高の高い山頂に位置する一方、堀切や土塁などの明瞭な中世城郭遺構を欠いている。このことから、現在みられる一般的な山城とは異なる古い形態の城跡である可能性があり、築城年代については鎌倉時代に遡るとの推測も考えられる。

写 真

                                 
清姫道 尾根道
平坦地 平坦地
案内板 屋敷跡案内板
屋敷跡 屋敷跡
井戸跡 屋敷跡説明板

経 路

 
  
 
          
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    登城経路(動画)

地 図

 
         


紀南地方の城跡