鳶之巣城(とびのすじょう)

所 在 地  日高郡みなべ町西本庄
標   高  260m
比   高  160m
築 城 者  龍神頼綱
築 城 年  応永6年(1399年)
形   式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 横堀  
登城時間  40分
 

歴 史

 龍神氏の祖とされる源頼政は、治承4年(1180)5月、平家と宇治川で戦った後、奈良へ逃れる途中に敗死し、その五男・頼氏が現在の田辺市龍神村殿垣内に隠れ住んだことが、龍神氏の始まりと伝えられている。
 頼氏から七代後の龍神山城守頼綱は、応永6年(1399)の大内義弘の乱の鎮圧に際して幕府軍に加わり、その功によって南部川上流の地を与えられ、鳶之巣城を築いたとされる。
 しかし、五代後の当主・龍神秀政は、湯河氏の謀略によって大和高取城で戦死したといい、その後、鳶之巣城も落城したことで龍神氏は没落したという。
 秀政の子・家綱は島之瀬へ逃れ、その後は帰農したと伝えられている。

 麓の土井地区には「ヤシキ」などの地名が残されており、ここに平時の居館があったと考えられることから、鳶之巣城を詰城とする根小屋式の城郭であった可能性が考えられる。
 

現 状

 南部川上流にある土井地区の山頂に城跡がある。
 城跡までは、麓の墓地駐車場に車を止め、そこから杉林に向かって整備された山道を歩いて登ることができる。
 遺構は、標高258mの山頂にある主曲輪を中心に、三方の尾根に向かって曲輪が配置されている。
 主曲輪は南北45m、東西18mほどの規模で、西側にはわずかに土塁が残されている。
 南側には堀切を挟んで自然地形に近い曲輪があり、その下方には曲輪を取り巻くように横堀が掘られ、斜面には畝状竪堀群が設けられている。
 西側には三つの曲輪が配置され、その北側下方には延長約50mの横堀がある。また、西側の尾根に向かって2条の堀切が設けられており、二本目の堀切は深さ約3m、幅約7mに及ぶ大規模なものである。
 東側の曲輪は造成が不十分で、形状は明確ではないが、その下方には二段の腰曲輪があり、いずれも馬場のような細長い形状をしている。
 鳶之巣城は、永正10年(1513)に落城したとの記録もあるが、畝状竪堀群や横堀を用いた城郭技法は戦国時代末期に多くみられることから、龍神氏に代わる領主によって大規模な改修が行われた可能性が考えられる。
 鳶之巣城は、戦国期の山城の姿をよく残しており、さまざまな遺構を確認することができる城跡である。

写 真

                                 
登城口 杉林の中の山道
尾根道 東側曲輪
東側竪堀 東側曲輪下の馬場
東側曲輪から主曲輪方面 主曲輪切岸
主曲輪北側切岸 主曲輪 
主曲輪南側堀切 南側曲輪横堀
 造成が甘い南側曲輪  西側曲輪
西側曲輪土塁 西側尾根堀切
西側曲輪切岸 西側曲輪斜面の横堀
西側曲輪横堀 西側曲輪横堀
西側堀切 西側堀切

経 路

地 図




紀中地方の城跡