榎城(えのきじょう)

所 在 地  日高郡印南町島田
標   高  203m
比   高  163m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
形   式  山城
遺   構  土塁 堀切 畝状竪堀群 虎口 横堀 
登城時間  1時間
 

歴 史

 榎城は、県内最大規模の鹿ヶ瀬城に匹敵する大規模な山城で、主曲輪を中心に三方向へ延びる尾根に曲輪が配置され、その範囲は約300mにも及ぶ。
 榎城は文献に登場しないため、築城主体や築城年代については不明であるが、これほど大規模な城郭であることから、大軍を動員できる勢力である畠山氏や湯河氏に関連する城であった可能性が考えられる。
 南東側の尾根には、約350m離れた位置に鳴神城がある。両城の関係については不明であるが、痩せ尾根によってつながっており、同一勢力によって築かれた可能性も考えられる。
 榎城は切目集落に向けて谷を包み込むように各曲輪が配置されており、北側からの侵攻に備えて築かれた城と考えられる。
 一方、切目方面に対しては、広い範囲にわたって三方向の尾根上に曲輪が配置されていることから、切目方面からみなべ方面へ侵攻する勢力を阻止する役割も担っていたものと思われる。

 また、鳴神城と榎城は約350m離れているものの、痩せ尾根によってつながっている。
 両城が同じ勢力の城であったとすれば、遺構の特徴からみて、先に築かれたのは榎城であった可能性が考えられる。

 なお、西出城には畝状竪堀群や横堀がみられることから、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州征伐に際して、大規模な改修が行われたものと思われる。
 

現 状

 榎城は、みなべ町西岩代と印南町名杭との境界にある標高224mの城山に築かれた鳴神城から、北西へ約350m離れた位置にある。
 榎城は、主曲輪からそれぞれ尾根でつながる西出城と北出城からなり、鳴神城方面となる南東側の痩せ尾根は、3条の堀切によって遮断されている。
 主曲輪と西出城の間には3条の堀切と3か所の曲輪が設けられており、兵を駐留させることが可能な構造となっている。
 西出城の曲輪には、北側と南側に土塁と溜池跡があり、南側の切岸下には横堀と畝状竪堀群が設けられ、防御性を高めている。
 主曲輪と北出城の間には切り残された土塁があり、それを越えると、鉄塔が建つ場所に堀切と竪堀が確認できる。
 北出城の曲輪北側には低い土塁が残り、虎口が開かれている。また、北西側と北東側の尾根には、それぞれ堀切が設けられ、尾根筋を遮断している。
 榎城は遺構の残存状態が良く、中世山城に取り入れられたさまざまな遺構を確認することができる、貴重な城跡である。

写 真

                                 
登城口 長尾峠に至る山道
長尾峠 途中にある鳴神城
鳴神城と榎城を繋ぐ尾根 南東尾根堀切
南東尾根堀切 南東尾根竪堀
主曲輪 主曲輪切岸
主曲輪西側堀切 主曲輪西側曲輪
 西出城方面尾根の竪堀  西出城方面尾根堀切
西出城 西出城土塁
西出城虎口 西出城南側横堀
石材の一部 投石用の河原石
西出城溜池跡 西出城から切目方面遠景
北出城方面尾根切残土塁 北出城南側竪堀
北出城南側堀切 北出城
北出城土塁 北出城虎口
北出城切岸 榎城縄張図
 
 正面が主曲輪で左側奥が西出城 


経 路

                                     

地 図




紀中地方の城跡