高幡山城(たかはたやまじょう)

所 在 地  日高郡みなべ町滝
標   高  414m
比   高  320m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
  式  山城
遺   構  曲輪 土塁   
登城時間  1時間30分
 

歴 史

 城跡は南部川下流域を支配していた紀伊国守護畠山氏の被官である野辺氏と中流、上流域を支配していた龍神氏との境目に位置する。
 高幡山には江戸時代初期に狼煙場や「明神社」が祀られていたことが文献に残されているが、地元でも城跡としは伝わらなかったようである。
 城跡のある滝地区は龍神氏の支配地域であり、城跡からは野辺氏の平須賀城(みなべ町)や南部平野を一望できることから、龍神氏が野辺氏の動向を監視するため築いた城であったと思われる。

 

現 状

 南部川中流域にある高幡山城は文献にも登場しないが、平成27年にみなべ町滝、広野、西本庄の境にある高幡山で和歌山県文化財センター職員により発見された。
 城跡からは南部平野や平須賀城が一望でき、ここが城を築く場所に適していることが分かる。
 登城ルートは広野地区集会所から稜線上を約1時間30分ほど登ると到達した。
 遺構は主曲輪を中心に3方の尾根方向に腰曲輪が配置されているが、尾根を遮断する堀切や竪堀はない。
 主曲輪は南北20m、東西27mの規模度で北側には低い土塁があり、主曲輪北側から東側を囲むよう腰曲輪が2段と、南東側にも付曲輪がある。
 なお主曲輪には地元小学生たちが登城した記念に木柱が建てられている。

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪
主曲輪土塁 主曲輪切岸
腰曲輪 腰曲輪
付曲輪 南部平野方面遠景

経 路

                                          

地 図