勝谷城(かちたにじょう)
所 在 地 海草郡紀美野町勝谷 標 高 745m 比 高 366m 築 城 者 高野山勢 築 城 年 室町時代 形 式 山城 遺 構 曲輪、土塁、堀切、虎口 登城時間 1時間30分
歴 史現在の紀美野町周辺は高野山の領内であり、勝谷城は高所に小規模な曲輪を構えた縄張りから情報伝達を目的として築かれたと云われる。天正9年(1581年)頃、織田信長と高野山勢との間に緊張が高まった時、勝谷城も一部改修がされ現在の形になったと思われる。 なお高野山の領内には他にも同様の小規模な城があり、これらの城を多数配置することにより、山間部に点在してている領民に対して効率よく情報伝達が行なわれていたのであろう。 |
現 状紀の川市と紀美野町の境界にある深山城山の最高所に城跡がある。城跡へは真国川上流左岸に位置する紀美野町勝谷集落(現在は廃村)から放置された畑跡を過ぎると、急斜面の尾根と途中の平坦地を約1時間半ほど登ると城跡に到着した。 城跡は最高所に南北5m、東西8mほどの小曲輪があり北側に土塁が一部残る。 小曲輪より東西には人工的に削平された平坦地があり、西側には斜め虎口が開いている。 また北側斜面には横堀状の帯曲輪と付曲輪があり、また東側には堀切と竪堀1条設けられている。 |
写 真 |
登城口 | 尾根道 |
曲輪 | 曲輪土塁 |
北側帯曲輪から腰曲輪 | 北側帯曲輪 |
北側腰曲輪 | 北側竪堀 |
経 路 |